へ〜、当時はバッハやヘンデルより人気があったんだ。なぜか?ゲオルク・フィリップ・テレマン - Wikipedia: "ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann, 1681年3月14日-1767年6月25日)は、後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家である。生前は同時代の作曲家であったバッハやヘンデルより、人気と名声のあった作曲家とされる。"
オペラ、コンサート、教会音楽や出版を行い、高い名声を得た。テレマンは、裕福な市民層を相手に作品の予約販売という方法で成功を収めたほか、隔週の市民向け音楽雑誌「忠実な楽長」を刊行、毎号、新作楽譜を掲載し、必ず、続きは後の号に載せることで継続して買ってもらうという新手の商法を生み出すという商売上手であった。
1722年、ライプツィヒの聖トマス教会の楽長が亡くなった時、ライプツィヒ市はまずテレマンを招聘しようとしたが断られたため、仕方なく知名度の低かったバッハを招聘したというエピソードからも、当時のテレマンがバッハより人気が高かったことがわかる。
「食卓の音楽」。宮廷の宴席で好んで演奏された室内楽を集めたもの。三つの曲集からなり、各々の曲集に、管弦楽組曲、コンチェルト、四重奏曲、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタといった異なった器楽合奏曲が含まれ、「バロック音楽の百科全書」とも呼ばれている。この作品を販売するに当たっては、特別価格での提供と予約者を当作品集の冒頭に記載すると広告したところ、ドイツ国内、海を越えてイギリスからヘンデル氏が、フランスやロシア・スウェーデンからも予約注文があったという。
いろいろビジネスモデルを創意工夫した人らしい。当時の芸術家は座っておれば売れるという殿様商売でなかったところが面白い。そればっかりになっても困るけれど、殿様商売が制度化すると国は衰退してしまう。
3 件のコメント:
これこそいわゆる「イノベーション」ですね。日本では innovation が「技術革新」と訳されたため、日の丸大鑑巨砲プロジェクトに税金をつぎ込むことになってしまいました。
あ、上の発言は私です。間違って匿名にしてしまいました。
安野さん、おっしゃる通りですね。ニッポンではなんでもかんでもお上の認定がいる。
ところでいつ梅雨に入るのでしょうね。此れも気象庁が宣言しないとはいったことにはならない。
隣百姓メンタリティーは古代エジプト人以来。
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